現在発売中のHO Vol.36のP.47で、黄金山のイチイ(石狩市浜益)の樹高を180mと間違って書いたのは私です。正しくは18m。大変申し訳ありませんでした。ご指摘くださった石狩市役所様、ありがとうございました。
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今回のHOで、私は「雄冬(オフユ)」のページを担当させていただきました。ここは個人的にも大好きな場所で、どうしようもなく落ち込んで元気になりたい時などによく訪れます。
このページを作るにあたっては、編集長から「昔の写真を入れたい。自分は、昔、新聞で国道開通以前の雄冬の写真を見たが、そこに写っていた車にはナンバーがなく『正式な道がないから、車の登録も不要で、ナンバーもついていなかった』という解説がついていた。ああいう写真を探してきなさい」という指令が出ていました。
最初にお電話をした増毛町役場の方は、どの部署の方もとても親切で、あちこち手を尽くして古写真を探してくださった上、貴重な雄冬海運のパンフレットやDVDと共に郵送してくださるなど、大変お世話になりました。(P72右下の小さな写真が増毛町役場ご提供の写真。増毛町の元陣屋・歴史資料館に展示されているようです)
それと並行して、ネット上でも雄冬の古写真を見つけ、撮影者の方にご連絡をしたところ、すぐに「ご協力しましょう」とお手持ちの写真をすべてお送りいただくことができました。これがP72の2枚の大きな写真です。この時の嬉しさといったらもう…。
なお、写真をご提供くださった東京の二村高史さんのホームページには、興味深い写真がたくさん掲載されています。私も東京・下町の出身で、ページ内の「東京 -昭和の風景-」にある写真には、まさに高校時代の通学路そのままの風景もたくさんあり、言葉にできないほどの懐かしさです。現在の様子と比べることのできる、とても素晴らしい作りになっているので、ぜひご覧になってみてください。
※二村高史さんのHP:二邑亭駄菓子のよろず話 http://www.dagashi.org/
このページに限らず、HOの誌面はいつもこんなふうに、直接お目にかかったこともないのに親身になって全力で協力してくださる多くの方々に支えられているのです。
さて。最初の編集長指令「国道開通以前の雄冬の、車の写真」についてです。二村さんのHPにある車の写真には、ナンバーが付いているような付いていないような? 微妙ですが、付いているように見えます。
今回、誌面にも登場してくださった雄冬の古老・金子さんによれば「村の人が車を持つようになったのは、国道開通の後。こっちのほうまで来るよその人はたいしていなかったから、最初のころは『まあバレないだろう』というずるい考えでほとんどみんな登録もせずにいたけれど(笑)、そのうちだんだん登録するようになってきた」とのことでした。
このほか、国道開通直後に雄冬まで行くには通行証が必要だった時期があったらしいという話が、とある場所から聞こえてきたこともあり、留萌開発局他に問い合わせましたが、結論としては、そのようなものはなかったようです。もしかしたら、国道開通以前に工事車両などに対して発行されたものだったのかもしれません。
何か知りたいことがある時、インターネットというのは本当に便利ですが、「あちこちに書かれてはいるけれど、元になるソースはおそらく1つに違いない」という事柄に出会うことがよくあります。その真偽を確認しようとすると壁に行きあたってしまい、ほとんどはそれ以上の確認ができないことばかりです。しっかりした根拠とともに記録に残すというのはとても大切なことだと改めて思います。
…というわけで、改めて、冒頭のような誤記は決してあってはならないわけであります。以後、心して自戒致します。
※誌面の都合で残念ながら載せることができなかった「雄冬海運のパンフレット」です。
(ひろみ) |