ブックタイトルhac_de_kushiro
- ページ
- 9/16
このページは hac_de_kushiro の電子ブックに掲載されている9ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは hac_de_kushiro の電子ブックに掲載されている9ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
hac_de_kushiro
光子が暮らした一歩荘は、「前田記念館」として保存されている。昭和36年に建てられたものだが、なんと温泉熱の床暖房を導入。中は一般公開されていないが、7500坪の庭園は自由に散策できる(釧路市阿寒町阿寒湖温泉1丁目5-2 /たんちょう釧路空港から車で約1時間)阿寒の森には大人が両手を伸ばしても抱えきれない巨木が数多く残る。樹齢数百年の原始の木がこれほど多く残されている地域は北海道でも珍しい。リラックス作用があるといわれているフィトンチッド(樹木が発する成分)が極めて濃い森だ昭和18年当時、人口は300人ほどで旅館は3軒。2人は森を守りながら、阿寒を本格的な観光地にし、地元の人の利益にしようと考えた。正次亡き後、一歩園の三代目園主となった光子は、女手一つで森を守り続けた。マリモの生息地である湖畔の北側を開発しようと本州から大物財界人が訪ねてきた時は、会うことすらしなかった。もし開発の手が入ったら、マリモは消滅していたかもしれない。 人々から「女傑」と呼ばれた光子だが、弱い立ち場にある子どもやお年寄りには人一倍優しかった。アイヌの人々にも支援の手を差し伸べた。木彫りをして自立できるよう無償で土地を提供し、作業小屋を建築したり、冬に木彫り作品を作りため、夏の観光シーズンに品切れさせないことや、貯金を勧めた。そんな光子をアイヌの人々は「ハポ」と呼んだ。ハポとはアイヌ語で「優しいお母さん」という意味である。9