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概要

hac_de_kushiro

あかん遊久の里鶴雅 屋上空中露天風呂「天女の湯」(上)と、ニュー阿寒ホテル「雲海」の露天風呂(下)じて昭和58年に設立した。亡くなる直前のことである。 財団が管理する土地の広さは、広大な森を含む3892ha。主な事業は、森林保全、自然普及、土地貸付、温泉事業。阿寒湖温泉街の土地と温泉も大部分は財団の持ち物で、旅館に土地を貸したり、温泉供給で得た収入で森を保全している。つまり、旅行者が阿寒湖温泉に泊まったり、温泉に入ることが、阿寒の自然を守る財源になるのだ。阿寒の自然に癒やされに来ることが、阿寒の自然を 年間200万人が訪れる阿寒湖温泉は一大観光地でありながら、濃密な自然が残る希有な場所として世界から注目されている。アイヌ文化とあわせ、ポスト世界遺産の呼び声も高い。湖には天然記念物のマリモが生息し、針葉樹と広葉樹からなる森には貴重な野生生物が暮らす。地球の恵みである温泉も湧出する。この豊かな自然を守っているのが前田一歩園財団。前田光子が、全財産を投守ることにつながるという、他に類を見ない好循環を生み出したのが前田光子である。 前田一歩園は、明治39年、光子の夫である正次の父、前田正名が国有未開地の払い下げを受けたのが始まり。「この山は伐る山から観る山にすべきである」という正名の思いは、「前田家の財産はすべて公共の財産となす」という家訓とともに、二代目園主の正次、その妻で三代目の光子に受け継がれた。 正次と光子が阿寒湖畔に移住した釧路管内は温泉の宝庫。その一つ、阿寒湖温泉に入ると、阿寒の森を育むことにつながることは、あまり知られていない。前田一歩園財団の初代理事長で、「阿寒の母」と呼ばれる前田光子が生み出した、ほかに類を見ない自然保護の仕組みを紹介する。アイヌの人々に「ハポ」と呼ばれ、慕われていた光子。ハポはアイヌ語で母の意味。優しさだけでなく厳しさを持ち合わせたところが、母と呼ばれるゆえん前田光子は明治25年、鬼怒川生まれ。15歳で宝塚歌劇団に合格。文屋秀子の芸名でデビューした。24歳で25歳年上の前田正次と結婚。昭和18年、阿寒に移住。71歳で亡くなるまで阿寒の森を守り続け、財団を設立。土地など全財産を財団に寄付し、森を守るシステムを後世に残した(写真はタカラジェンヌだった頃の光子)8