あなたの街の三丁目+'64 北海道版レポート
>>レポート・4

当時の材料を吟味し、幻の味を見事に再現

味処 昭和苑

住所
函館市昭和3丁目36-1 昭和ビル1階
電話
0138・46・4835
営業時間
11:00〜20:00(日曜は11:00〜15:00まで)
定休日
不定休
これが幻の復刻ラーメン「南京そば」700円。塩ラーメンは460円、醤油490円、味噌580円。チャーシュー麺はプラス150円
 
 
函館南京そばの会会長の平原惣之助さん。「味の原点は素材がはっきりしシンプルであること」と話す
 

 明治17年4月26日付の函館新聞(現・北海道新聞社の前身にあたる)に洋食店「養和軒」の広告が掲載されている。その広告記事の中に、「南京そば十五銭」という記述があった。これまで日本におけるラーメン(支那そば)の始まりは、明治43年創業の浅草・来々軒、あるいは明治中期に横浜南京町(現在の中華街)で引かれた屋台の「南京そば」がルーツとされてきた。もし函館の南京そばが、現在のラーメンにかなり近いものであるならば、函館こそがラーメン発祥の地となる。
  平成20年、昭和苑の店主・平原惣之助さんのところに市の関係者から「函館開港150年記念の目玉として、当時の南京そばをぜひ再現して欲しい」との依頼が舞い込んだ。「それは驚きましたよ。何せ資料は何もない。広告の1行だけ。最初は皆目見えてこなかった」と平原さん。
  まずは当時の文献から参考になる資料を探していった。分かったのは、養和軒は現在の金森倉庫の辺りにあり、主人の「アヨン」さんは、英国領事館専属のかなり腕のいいコックだったということ。15銭は現在の価値で3000円前後。当時の函館は、塩、昆布、アワビなどが豊富だった。また桔梗村では鶏を飼っており、その周辺では小麦もよく育っていた。
  驚きの発見であったのは当時の農家の日記『亀田外七ヶ村各村創立聞取書』の小麦の欄の中に「南京人に食シ方を教わった」という記述があったことだ。スープは平原さんのほか、バスラーメン、ずん・どう、えん楽、あじさいの各店主が何度も集まり、素材の選択を試行錯誤しながら作り上げた。
  そして復刻した幻の南京そばは、道産小麦の全粒粉を石臼びきし、鶏ガラなどで清湯(ちんたん)スープにしたラーメンである。平原さんの奥さん・奈々子さんが「うどんにかなり近いラーメンです」と話す通り、麺はモチモチしている。具にはホウレンソウ、ギンナン、鶏チャーシュー、金糸卵が入っている。「何か足りないという反省はありますが、味の原点はシンプルであること。それに思いを乗せていく。アヨンさんもきっと喜んでくれていると思っています」と、平原さんは話す。

※HO 38号より抜粋